豊かな文化と自然が入り混じるシャンパーニュ地方で、100年の歴史を紡いできた「シャトー・レ・クレイエール」。総料理長を務めるフィリップ・ミル氏は、今フランスで最も注目を集めているシェフの一人で、パリの名だたる名店で経験を重ね、2011年にはM.O.F.(国家最優秀職人章)を獲得するなど輝かしい経歴を持つ。現在はその確固とした料理人経験とリーダーシップを発揮し、情熱を持ってレ・クレイエールを牽引。東京にも自らの名を冠する店を持つミル氏に、3年ぶりの来日を機にインタビューした。
――総料理長を務める「シャトー・レ・クレイエール」と、ミルさんがそこで行っていることについて教えてください。
シャトー・レ・クレイエールはシャンパーニュ地方の中心部・ランスにある、100年続くシャトーです。宿泊施設とレストランを備えており、レストランとしてはメインダイニングの「ル・パルク」とブラッスリーの「ル・ジャルダン」があります。私はそれらの総料理長を務めていますが、基本的には「ル・パルク」で指揮を取っています。
私がレ・クレイエールに着任したのは13年前です。このメゾンの長い歴史とストーリーを、まずは一度自分のものにする必要がありました。それを継承しながら新しいことをするのが私の仕事です。
13年の間で、変わったことと変わらないことがあります。まず変わらないこととしては、私のDNAにはパッションがあるということ。これは不動です。そして変わったところとしては、チーム(私はチームをファミリーと呼んでいますが、本当に家族のような存在です)と共に進化を果たせたこと。また、この地方の精神、世界観、フィロソフィーを得ることができました。
これは周囲の生産者の方々のおかげでもあります。生産者の方々が近くにいるという今の環境は、私の幼少期と重なります。私は田舎で育ったのですが、近所の生産者の方がどのようなものを作ったか、わかっていました。それと今は同じで、誰が、なぜ、どのように野菜や畜産物を作っているのかを知っており、そうした生産者の方々が作るものは味わいが深いことも実感しています。それらを知った上で料理をするというのが、非常に重要です。
そして何よりも大事なのは、そうしたこの土地の精神や素材の魅力をお客さまにしっかりとお伝えすること。常にシャンパーニュ地方に対する愛を感じていただけるよう、心がけています。
もう一つ大事なのが、シャンパーニュ地方のシャトーのレストランとしては、飲み物としてのシャンパーニュも存分に楽しんでいただくということ。
実は私は、着任した当初はシャンパーニュのことをあまり知りませんでした。アペリティフやお祝いの時のワイン、くらいの認識だったのです。フランス人のほとんどがそうだと思います。しかし醸造家の方々の元を訪ね、カーブを見せてもらううちに、シャンパーニュがガストロノミーのワインだと知りました。コースの料理とマリアージュできる、いわば「素材」の一つだという理解を得たのです。
料理とともに、そうしたシャンパーニュの魅力もお客さまにお伝えしたいと思っています。
――2017年に東京にオープンした「フィリップ・ミル」の、ブランドアイデンティティーと料理のコンセプトはどのようなものでしょうか。
「フィリップ・ミル東京」の中村哲也シェフと共に、ガラディナーのメニューを考えるフィリップシェフ。
「フィリップ・ミル 東京」は東京ミッドタウン内の店舗。テラスからは都心の空と緑が眺められる。
「天然平目のヴァプール キャビアとじゃがいものロティ 光と影 キャビアとソースシャンパン」(ガラディナーのメニューより)
この店のアイデンティティーもフィロソフィーも、ランスの店と何ら変わりありません。「私のキュイジーヌ」ということは一貫しています。先ほどお話ししたシャンパーニュ地方の精神を東京でも表現したいですし、私のDNAである情熱も感じていただきたい。飲み物としてのシャンパーニュの豊かさも存分にお伝えしたいですね。
フランスで私が学んできたことも、日本で表現できればと思っています。それはフランス料理の本当にベースのところであるソース、ブイヨン、ジュ、火入れなどです。
そしてフランスでも日本でも、私にとって生産者は宝飾を扱う職人のような存在。生産者の方々は、土の中で宝を育てるように、情熱を持って日々仕事に取り組んでいます。そうした原石を私たちは厨房に持ってきて磨き上げるのです。
コロナの前は、来日した折に、東京の店のシェフと一緒に、日本各地の生産者の方々のもとに実際に足を運びました。たとえば能登の高農園さんの野菜は非常に味わい深いですね。
日本の魚介類も素晴らしいですし、もっと大きな視点で言うと、素材に敬意を込める日本の文化にも影響を受けました。いつも発見があり、学びがあります。
つまり、私はフランスでも日本でも自分の料理の核となるアイデンティティーやフィロソフィーを持っているのですが、日本では、日本の生産者さんが提供してくださる素材次第でメニューを変えることがあります。素材に寄り添うことは非常に大事です。
――70年代のヌーベルキュイジーヌ宣言以降現在に至るまで、フランス料理はさまざまな変化を体現してきました。それを踏まえ、特にここ10年のフランス料理界の進化・トレンドをどのように見ていらっしゃいますか。
現在のフランスの料理のベースは、20世紀初頭にエスコフィエが築いたものだと思います。大きく切った肉や魚にしっかりと火を入れ、濃厚なソースをつけるのが基本でした。
そこから1970年代にミッシェル・ゲラールが現れ、野菜やフルーツを多用した料理、小麦粉を控えたソースを用いた料理、すなわち軽やかで健康的な料理を推し進めたのです。
このように長い目で見ても、フランス料理は常に立ち止まらず、進化を続けています。時にはスペインや北欧の影響もありましたが、それはあくまでもトレンド。トレンドの影響を受けることはあるでしょうけれど、それよりも、フランス料理は自らの歴史から逸れず、良い方向に進んできたと思います。
その「良い方向」というのは、より身体によく、より野菜を活用した料理ということです。世界がそうした料理を求めているからという理由もありますが、先ほどお伝えしたように、生産者の方々の作る素材をリスペクトした料理に皆、より意欲的に取り組むようになるだろうという理由の方が強いです。今後、この傾向はより強くなっていくでしょう。
ただし忘れてはならないのは、フランス料理のいわゆる背骨は「味」だということです。このSNS時代では美しさが追求されがちですが、フランス料理の一番重要なのは美味しさ。それはしっかりと伝えていなくてはいけないと思います。
――コロナ禍では多くの飲食店が業態を変えるなどの変化を経験しました。この期間を通し、シェフご自身はレストランのあり方や存在意義をどのように考えましたか。
レストランの意義そのものはまったく変わっていないと考えています。レストランというのは、お客様に夢のようで忘れられない瞬間を体験していただく場所。それがレストランの意義です。私たちのチーム、すなわちファミリーは全力でそれを実現するのです。
コロナで何が変わったか……。強いて言えば、コロナは職人の仕事をより引き立たせてくれたと思います。たとえばテーブルウェアなども含めたレストランの総合的で細やかな表現は、レストランに行けずにいた日々が続いたことで、その価値が見直されたのではないでしょうか。
――ミルさん個人としては、変わったことはありましたか。
そうですね、ロックダウンの時に「一人では何もできない」ということを非常に強く感じました。つまりレストランは、厨房のスタッフ、サービス、ソムリエ全員がいて成り立つのです。私はシェフなのでリーダーですが、リーダーだけでは何もできません。いろいろなセクションのみんなが集まり、信頼することで何かが生まれる。そう感じました。
その結果、変わったことがあります。以前は、自分が厨房で料理を仕上げ、それをサービススタッフに渡し、お客さまに提供する。そしてソムリエがワインをお勧めする――というスタイルをとっていました。しかしこれだと、「私自身が最後までお客様をご満足させて差し上げたい」という気持ちが芽生え、葛藤となっていました。自分が納得できる究極の形とはどういうものか? どうしたら実現するのか? と、いつも考えていたのです。
しかしその究極の形は、私が思い描いていたものとまったく違う形で実現しました。今は、このようにしています――サービスは、自分の手の延長上にあると考えるのです。つまり、私は厨房で盛り付けの最後までやらない。ある程度作ったらサービススタッフに渡して、お客様の前でカットやフランベ、ソースの盛り付けをして、仕上げるのです。これで厨房とサービスのタッグがより強まりました。
一方、ソムリエはその間、お客様との会話の中で、その日のお客様の調子に合わせた最上のマリアージュを見つけます。こうしてすべてが合わさってこそ、素晴らしい体験をご提供できるのだと思っています。
――これからのフランス料理・ガストロノミーの未来をどう予測しますか。
フランス料理はマイ・ウェイを進むと思います。
サイクルはあるでしょう。北欧の影響があって軽やかになる、アジアの影響で柑橘や出汁が使われる、というような影響のサイクルです。しかし結局はフランス料理が得意とする焼き加減などを重視する流れに戻るのでは、と思っています。
また、これはフランス料理に限りませんが、皆でテーブルを囲むことの重要性が見直されるようになるのでは、とも考えています。子供の頃、食卓の真ん中に料理の入った大皿を置いて、みんなでそれを囲み、会話をし、食事を楽しみました。つまり、食事には、親睦、親密性を生む力があるのです。そういったシェアの瞬間、共有の瞬間というのがこれからの時代ではいっそう求められるようになると思います。
ビジネスでも政治でも、一番重要な決定は意外とテーブルを囲んでなされるものです。なぜなら、そこで互いへの親密性が生まれているから。みんなが口で楽しみ、身体中に喜びが駆け巡る。それを共有することで親睦が生まれる。食事のそんな側面を、料理は担い続けるのだと思います。
――今回の来日で、日本でインプットしたいこと、アウトプットしたいことはなんでしょう。
インプットでは、たとえば日本の発酵技術を学びたいですね。発酵はアジア、とりわけ日本で発達しています。発酵による酸味、柔らかな塩味などは自分の料理に活かせると思います。魚や野菜を乾燥させた食材にも興味があります。そうしたノウハウを身につけたいです。
アウトプットとしては、とても具体的なところではフランスのレンズ豆、ワイン、そしてそれらの作り手のフィロソフィーを持ってきました。また、3年間で進化した自分の料理も伝えたいです。技術、メリハリなどの考え方などをアウトプットします。
こうしたインプット・アウトプットは、双方向の情熱、喜びと共にあるもの。そうした感覚を共有するのも楽しみです。
――今回「私の最先端が表れた一皿」として挙げて下さったお料理について、ご説明いただけますか。
「色とりどりの野菜とフルーツのパレット 野菜のエッセンスとコンディモン」(ガラディナーのメニューより)。
今回用意したのは、野菜の料理です。私自身の料理に、日本のタッチを入れました。
使っているのは、10~12種類の野菜とフルーツ。野菜は基本的には、能登の高農園さんのものです。また、私はアートが好きなので、絵画を描くようなアーティスティックな感覚も生かしました。
もちろん、見た目だけではありません。野菜やフルーツはすべて味も食感も異なります。火を入れたり、生のままにするなど、それぞれをさまざまに仕立て、食感のリズムを作りました。
味付けはやや複雑で、スパイスを効果的に取り入れています。ニンジンの隣にはカルダモン、梨の隣には、爽やかな酸味とエキゾチックな香りが魅力のスパイス、スマックを。そのほかハイビスカスやシソのゼリーも使っています。ピクルス風にしている野菜もあります。
最後に、泡状にした野菜のブイヨンをサービススタッフが野菜の上にのせ、「ダブル野菜」を味わっていただく仕立てです。この野菜のブイヨンの中には果汁やピクルスの漬け汁などを入れて、風味に奥行きを出しています。また、この提供方法は、「サービスはシェフの手の延長上にある」という考えに基づくものです。
10〜12種類の野菜とフルーツを尊重した皿です。ぜひ、それらの生き生きとした味わいを楽しんでいただきたいですね。
――料理を志す若い人々へのメッセージをお願いします。
心がけてほしいのは、伝承。後世に伝えること。これに尽きると思います。
料理人は、すばらしい職業です。情熱あるチームで、原石である素材を自分たちの手で変えていく。それを進化させる。一人一人が自分のパートを持ちながら一つのものを仕上げる。チームワークの醍醐味を、本当に味わえます。
そして、最終的にはお客さまの笑顔が待っています。お客様の目の輝きをずっと保っていきたいですよね? なので、フランス料理に限ったことではないのですが、若い人には料理をぜひ続けていただきたいです。そしてぜひ、次世代に引き継いでいってください。
取材日 2022年12月
取材・文 | 柴田泉 |
---|---|
写真 | 小沼祐介 |
編集・構成 | 料理王国編集部 |
Chef Profile
Philippe Mille フィリップ・ミル
1974年生まれ。フランス・ルマン出身。「ラ・セール」「ホテル・ムーリス」など名門レストランでの修業を経て、2011年、弱冠38歳にして国家最優秀職人賞(M.O.F.)を受賞。その後、シャンパーニュ地方・ランスの老舗シャトー「ドメーヌ レ・クレイエール」の二つ星レストラン「ル・パルク」とブラッスリー「ル・ジャルダン」の総料理長に就任。わずか2年後「ル・パルク」は二つ星レストランに。2008年のボキューズ・ドール国際料理コンクールでは3位入賞を果たすなど“グランド・キュイジーヌの大いなる希望の星”として国内外で高く評価されている。2017年、東京に自身の名前を冠する初のレストラン「フィリップ・ミル 東京」をオープン。2024年4月には、「ドメーヌ レ・クレイエール」から独立し、自身がオーナーを務めるレストラン「ARBANE」をオープン。