アルザス地方のイローゼン村で、100年以上営みを続けている「オーベジュ・ド・リル」。この地方はもとより、フランスを代表するレストランの一つである。代々、エーベルラン家のシェフ達が継いできたこの名店を今、取り仕切るのはマルク・エーベルラン氏。アルザスの食文化と家族の伝統をベースに、優雅かつ温もりにあふれた料理を作りだす。そのスピリットを唯一フランス国外で受け継いでいるのが、ひらまつとのパートナーシップ。コロナ禍を経て3年ぶりに来日したエーベルラン氏に、料理への情熱と思想、若手へのメッセージを語ってもらった。
――オーベルジュ・ド・リルのコンセプトは、どのようなものでしょう?
フランスのガストロノミーの世界で、4代続く家族経営のレストランとして、トップレベルの存在であることです。
料理については、クラシックなフランス料理を主軸にして新しいアイデア、新しい風味を加えています。使用する食材の多くは村の生産者から、なければアルザス全体から仕入れています。そのほかフランス産の素材もあります。全体でいうと8割がフランス産、2割が外国産です。
――アルザスという地方に対して、どのように向き合っていますか?
アルザスには常に愛着を持っています。とりわけ、料理とワインのハーモニーに素晴らしいものがあります。当店に来られるお客様は、やはりアルザスのワインを楽しみになさっていますので、ワインと相性のよい料理を作るよう意識していますね。
そしてアルザスの伝統料理にも、いつも影響を受けています。アラカルトメニューの中には、そのひとつ「ベックオフ」(肉、じゃがいも、玉ねぎ、にんじんを白ワインでじっくり煮た郷土料理)があり、鶏とトリュフを入れたオーベルジュ・ド・リル風の仕立てとしています。そのほかアルザスの伝統的なものとしては巧みなスパイス使いや、本来はクリスマスの夜に食べられていたフォアグラにも思い入れがあります。
――父親のポール・エーベルランさんからは何を受け継ぎましたか?
一番継承したのは、職業に対する愛です。レストランという仕事、この場所に対する敬意と誇り。そして何よりも、お客様に満足していただくことの大切さと素晴らしさ。そうした、レストランの仕事の核にある精神を学びました。
父から引き継いだレシピもあります。カエルのムースリーヌ、サーモンのスフレなどがそう。ピスタチオのアイスクリームに白桃のポシェ、シャンパンのサヴァイヨンを合わせた名物料理「ペーシュ・エーベルラン」も、父からのものです。
――フランスのトップレストランの中でも、オーベルジュ・ド・リルと他の店との最大の違いは何であると思いますか?
歴史です。私たちの店は、120年間続いています。始まりは村の人達のためのシンプルな食堂で、その頃は曾祖母や祖母が厨房で調理を担っていました。それが第二次大戦で中断し、その後、3代目となる父ら兄弟が本格的なレストラン「オーベルジュ・ド・リル」として復活させました。1949年のことです。
こうした家族の伝統、この土地に生きる方々と紡いでいきた歴史に、私達は大きな誇りを持っています。
ガラディナーのメニューより(以下同)。「ビーツと仕上げた栃木ヤシオマスのマリネ ヴォッカのクリームとキャビア」
「三河吹鶉(うずら)、フォアグラ、黒トリュフのバロティーヌ風」
「三陸沖ほたて貝のポワレ アルバ産白トリュフ、フレグラとほうれん草のパスタ ソース・リースリン」
「オマールブルーと旬の茸のソテー シェリー酒の香るブイヨン」
――フランス料理の現在と未来についてお聞きしたいと思います。まず、今に至るここ10年間ほどの動向をどのように見ていらっしゃいますか?
若手が北欧の影響を受けるなど、フランス料理はこの5〜10年で変化があった印象を受けるかもしれません。しかし今は、クラシックに立ち帰るトレンドがあると思います。もちろんクラシックそのままではなく、軽やかに仕立てますが。
私の考えでは、料理の主役は「素材」であり、シェフではありません。そしてフランスには素晴らしい素材があります。なので、それらを今こそ再評価しなくてはいけません。
意欲のある農家、漁師、ワイン醸造家達は、かけがえのない恵みを生み出してくれています。われわれ料理人はそれを再発見し、料理に落とし込み、より改良された、軽やかでシンプルな皿を作るのです。フランス料理の土台は、この土地の最高の食材にあります。そう考えると、北欧などからの影響やトレンドというのは、フランス料理の未来にはなくなっていると思います。
忘れてはならないのは、フランス料理は、ワインと料理のマリアージュを楽しむものであること。料理にどのワインを合わせるか、ワインにどの料理を合わせるか。それがフランス料理の一番の目的だと私は考えます。
――コロナを経て、レストランの存在意義はどう変わったでしょうか?
新型コロナウィルスの流行中、レストランは休業を余儀なくされ、宅配で料理を販売する店も多かったと思います。しかしレストランの原点というのは、お客様に喜んでいただくこと。それはテーブルを囲み、素敵な空間で食事を楽しんでいただくことなのです。どんなに味がよくても、プラスチックや紙製のトレーで料理を提供することとは異なります。
コロナを経ても、私達の料理に対する愛情、情熱、ノウハウは変わっていません。一方、お客様はというと、コロナを経てレストランに来るのを怖がってしまうのではと危惧していたのですが、実際はその逆でした。皆さん、待ち望んでいたと言わんばかりに、毎日満席です。テーブルにつき、料理を運んできてもらうなどのさまざまなサービスを受けるという、レストランの魂を期待していたのだと思うのです。
――フランス料理の未来はどのようになると考えていますか?
私が予言するのは難しいですが、この数ヶ月の動きを見ていると、クラシックな基本に戻っていくのでは、と思っています。ベースに戻り、進化させ、食材に重点をおいていくのではないでしょうか。やはり一番大切なのは味付け、火入れ、香り、味。これらがしっかりとしていなければ、ワインに合わせるのも難しいでしょう。
フランス料理の魅力は、シェフ達に個性と雰囲気があり、魂があること。お客様は、さまざまな体験ができます。ですので、シェフがそれぞれのアイデンティティを保つことが大事です。
ポール・ボキューズは言っていました。「世界には二つの料理しかない」と。「フランス料理、ドイツ料理、日本料理、イタリア料理、スペイン料理、いろいろあるけれど、結果的には美味しいかまずいか。その2つしかないんだ」。
「オーベルジュ・ド・リル トーキョー」 メインダイニング
――2007年に名古屋、2008年に東京に出店して、日本に対してイメージが変わったことはありましたか?
とくに変わったということはありません。私には昔から日本文化、日本料理に対するリスペクトがあります。今日もランチに大好きなお寿司を食べに行きました(笑)。
1970年代のヌーヴェル・キュイジーヌは、トロワグロ兄弟などが日本料理の影響を受けたたことで生まれたといえます。たとえば、それまでのフランス料理では魚も肉もしっかりと焼き上げていましたが、より浅い火入れにとどめ、素材本来の風味をていねいに引き出すようになったのは日本の影響だと思います。
私も日本に出店してから、火入れについて日本から学びました。とくに炭火ですね。あとは野菜の出汁の使い方、魚のマリネの方法なども自分の料理に取り入れています。
とはいえ、私たちのルーツであるフランス料理は忘れずに。味付けもフランスの基本を重視しています。
オーベルジュ・ド・リルにとって海外初上陸店である「オーベルジュ・ド・リル ナゴヤ」の中廣太一シェフと。
――今回、3年ぶりに来日しました。どのような目的を持って来られましたか?
日本にある3店のオーベルジュ・ド・リルのレベルの維持、さらなる向上のために参りました。もちろん最終的な目的は、お客様に、より喜んでいただくこと。お客様が私たちの職業のエンジンです。
3年ぶりということで、ただただ日本に来たかったです(笑)。中廣シェフをはじめとする日本チームに会いたかったのです。中廣シェフは毎年フランスに来てくれていましたが、コロナでそれもなく、とても寂しい思いをしてきました。一緒にメニューを考えたり、われわれの料理の精神について語りたかった。今回の滞在中はそんな日々を過ごしていました。
最先端を表すひと皿は、ガラディナーのメイン「鳥取産本州鹿のポワレ ラ・フランスのコンボート トンカ豆の香るガレット」
――今回作ってくださった「最先端の一皿」の特徴を教えてください。
野生の鹿を赤ワインとスパイスで仕立てた、晩秋から冬のアルザスらしい料理です。
アルザスでは鹿は、5月から翌年の1月までが狩猟の時期。赤ワインで短時間マリネしたロース肉と、クリスマスのスパイスであるシナモン、クローヴ、ショウガなどと赤ワインで煮込んだ洋梨を合わせました。ポレンタのクネルには、トンカ豆の香りをつけて、少し華やかでエキゾチックに。ソースは、シャルトリューズ、パンデピスで香りをつけたソース・シュヴルイユです。
しっかりとしたソースと肉の味、華と深みのある香り。このひと皿で、お客様にアルザスを体感していただきたいです。そしてこの調理法、香りそのものが未来に伝わればいいと思っています。
――次世代を担う料理人たちにメッセージをいただけますか?まずは、修業をはじめたばかりの若い料理人に向けてお願いします。
この職業を恐れないでほしいです。たしかに長時間労働で、コロナもあり、料理の道を諦めてしまった人も少なくないと思います。しかし、努力して作ったものでお客様に喜んでいただくという達成感は、何事にも代え難いものです。
レストランで2〜3時間過ごしていただく間で、日々の悩みを忘れていただき、食事とサービスにご満足いただく。世界でもっとも素晴らしい仕事かもしれません。
――ミッドキャリアにいる人に対するメッセージをお願いします。
ぜひ、1日2回は自分を顧みてください。レシピであれはなんでもっと改善できなかったか? 違う方法はなかったか? どうすればもっとお客様に喜んでいただけたか? そうして自分に厳しく問い続ける習慣が、未来に繋がると思います。最終的には、お客様をどれだけおもてなしできたかという点に行き着くと思います。
――本日はありがとうございました。
取材日 2022年10月
取材・文 | 柴田泉 |
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写真 | 小沼祐介 |
編集・構成 | 料理王国編集部 |