リヨンの名店「ポール・ボキューズ」がフランス料理の殿堂であることに異論を挟む人はいないだろう。故ポール・ボキューズ氏はこの店の、そしてフランス料理界の守り神のような大きな存在だった。そんな氏のもとで20年近く働き、2017年より総料理長を務めるのがジル・レナルト氏。2018年にボキューズ氏が他界したのち、この由緒ある店、料理、そしてボキューズ氏の哲学を引き継いでいるレナルト氏に、来日を機にインタビューした。
――ムッシュポール・ボキューズの料理と哲学は、どのように受け継がれているのでしょうか。
ムッシュポールが亡くなってから5年が経ちますけれども、この5年間は非常に難しいものでした。なにしろ私達の師匠であり、柱であり、基盤であるメンター的な存在がいなくなってしまったのですから。
そしてムッシュポールが亡くなってから、私達は一つの決断をする必要がありました。ムッシュの料理はフランスの伝統に則り、実に豊かでたっぷりとしたものでしたが、それを引き継ぎつつ、時代に沿った進化を目指すことにしたのです。そうして私達が考え出したモットーが「動き続ける伝統(La Tradition en Mouvement)」です。
鎖を想像してみてください。このレストランに根付いたムッシュポールの価値観を引き継ぎながら、私達は次世代に渡していきます。長い鎖を作るには、伝承が必要なのです。しかしただ過去をなぞるのではなく、時代に沿いながら輪を作り、それらを繋ぎながら伝承することが大事なのだと思います。
幸い、私にはオリヴィエ・クーヴァンという右腕がいてくれています。彼は2015年にM.O.F.(国家最優秀職人章)を獲った非常に優秀な料理人です。また、ずっとポール・ボキューズのレストランで働いてきた見事なチームにも恵まれています。私達はチームを「クルー」と呼んでいますが、その一人一人が本当に素晴らしいのです。
「一人だと早く仕事ができる。しかし皆でやればより遠くへ行ける」というムッシュの言葉通り、皆で「動き続ける伝統」を実践していきたいと思っています。
――レナルトさんが料理で表現したい世界はどのようなものでしょうか。
ポール・ボキューズを代表するスペシャリテの一つ「天然スズキのパイ包み焼き ソース・ショロン」。
先ほど言ったことと重なりますが、私が表現したいのは、ムッシュポールの哲学を引き継ぎながらの「動き続ける伝統」です。
どのように表現するかというと、例えば、私達はレストラン ポール・ボキューズで長く愛されてきた偉大な料理――「スズキのパイ包み焼き」、「黒トリュフのスープ」、「ルージェのポワレ ジャガイモのウロコ仕立て」、「ブレス鶏のベッシー包み」などを変わらず提供しています。ただし、それらを再解釈してもいます。
ムッシュは味に厚みのあるフォン、生クリーム、バターを惜しみなく使い、それにより豊かで濃厚な料理を作ってきました。そういった豊かさは守りたいと思っています。しかし、リッチすぎるものを、よりバランスのとれたものにする必要もある。それが、私が表現したい世界です。
私達はかつて批判にさらされていたこともありました。「古びた料理」なんて言われたこともあったのです。しかし、だからといっていきなり新しくはできません。それは例えば大工と同じで、伝統的な仕事をし続けてきた大工に急に近代的な家を建てろと言っても難しい。とはいえ、ベーシックを知っていれば徐々に変わることはできます。
料理もまったく同じ。一番基盤となるものをしっかりと身につけてから、初めて変わっていけるのです。
――ムッシュポール・ボキューズの哲学で、レナルトさんが特に大切にしているのは何でしょう。
いろいろありますが、やはり「味」を何よりも大事にする点を第一に挙げたいです。
ムッシュポールは常々「フランスという場所は、すべての素晴らしい食材が揃う。リヨンはとりわけそうだ」と言っていました。その通りで、特産のバター、世界に誇るブレスの鶏、おいしいワイン……こうしたものが手に入ります。
そして、良い素材、良い火加減、良い味付けの3点が揃っていれば、当然おいしい料理が成り立ちます。こうして作り上げられた味が、一番重要なのです。このムッシュの考えに、私は完全に同意します。私達は何よりも「味」を前面に出したいと思っています。
味という点では、私たちはムッシュの味覚というものを知っています。なぜなら、彼に毎日食事を提供していたからです。塩が足りない、少し酸っぱすぎる、コショウを入れ過ぎといったことを細かく言っていたのを10年以上聞き続けてきたので、彼の味覚が身についているのです。
だから、今新しいメニューを考える時も「ムッシュポールは果たしてこの味が好きなのか?あるいは違うのか?」と考えます。彼が私達を導こうとしていた「道」から逸れないようにしているのです。ムッシュを裏切ってはならないですからね。
こうした「道」を作ることができるシェフはそうそういません。なんといってもムッシュは唯一無二なのです。今でも私はムッシュのことを思い出すと、多くの感情が込み上げてきます。私はムッシュと過ごした時間の方が、自分の家族と過ごした時間より長いわけですから(笑)。
時折「なぜムッシュはこんなにも特別なのか」と考えるのですが、思うに、料理の揺るぎなさに加え、彼は人を集め、連帯感をもってまとめることができる人物だったということも大きいでしょう。今の社会は、みんな自己中心的、自分優先なところがあります。しかしムッシュはそうではない。自分のことを顧みずに、よき物事をみんなとシェアする。そんな存在でした。
ガラディナーのメニューより「3種のチーズのグージェール ズワイガニのタルタル カリフラワーのピューレ キャビア添え 栗かぼちゃの温かいスープ パルメザンチーズのクレーム 白トリュフの香り」
「オマール海老のサラダ仕立て ア・ラ・フランセーズ」
――70年代のヌーベルキュイジーヌ宣言以降現在に至るまで、フランス料理はさまざまな変化を体現してきました。それを踏まえ、特にここ10年のフランス料理界の進化・トレンドをどのように見ていらっしゃいますか。
トレンドはありました。北欧やスペインの影響などがありましたが、私にとっては、それはファッションのようなもの。一巡したらおしまいです。
もちろん私は変化が必要ない、新しいものに対して反対だ、と言っているわけではありません。しかし、フランスには素晴らしいものが十分に存在しているのです。素材、ノウハウ、料理……どれをとっても非常に豊かです。
なので、小さい影響を取り入れながらも、この素晴らしいベースを壊してはならない。進化はあっても革命があってはならない、と思っています。
ムッシュはいつも言っていました。「クラシックであろうとモダンであろうと、料理には一つしかない。それは美味しいものだ」と。この言葉は時代を超えると思っています。
――コロナ禍では多くの飲食店が業態を変えるなどの変化を経験しました。この期間を通し、シェフご自身はレストランのあり方や存在意義をどのように考えましたか。
確かにコロナ禍は大変な時期で、何も考えなかったというと嘘になります。ただし、自分達が立ち止まるちょうどよい機会でもあったと思います。個人的には、なかなか会えなかった家族との時間を大切にしました。
仕事面では、レストランをどのように変えられるかを考えました。どうすれば、より心地よく働けるか。つまり働き方についてじっくりと考えることができたのです。その結果、今まで週に7日間営業していたのを、全スタッフが2日間休めるように変更。こうした働き方の改善に迅速に取り組めたのはコロナがあったからですので、悪いことばかりではなかったと思います。ちなみに、これによってお客様が減るということはありませんでした。
コロナの時期も我々はほぼ毎日レストランに赴いて、厨房のチェックをしていました。また、病院の医療従事者の方々などに食事を届けたりもしていました。
こうした活動のために厨房に集まることで、クルーの皆との絆を継続できたと思っています。特に若手ですね。店がずっと閉まっていると、どうしても若手が仕事を辞めてしまうリスクがある。そうならないよう、強い意志を持って繋がりを保つよう心がけました。先ほど話した、ムッシュポールの「人を集めて連帯させる」という素晴らしい才能、素晴らしいあり方を継承したかったのです。
何があってもクルーを大事にする。これも大きな試みでした。
――これからのフランス料理・ガストロノミーの未来をどう予測しますか。
フランスのガストロノミーのベースはあまりにも強固で、崩れるものではないと思っています。本当に特別なものです。
日本の皆様がフランスに来られる時は、観光の目的ももちろんあるでしょうが、美食の国で美味しいものを食べるという目的もあるはずです。それはこれからもずっと変わらないと思うのです。
先ほども言いましたが、フランスには豊かな素材、ノウハウ、料理があります。ですからフランスのガストロノミーの未来にはなんの心配もしていません。
ポール・ボキューズグループ統括料理長・中谷一則氏と。共にムッシュポールの薫陶を受け、その哲学を継承する重責を担う。
――今回の来日で、日本でインプットしたいこと、アウトプットしたいことはなんでしょう。
私は今回が初の来日です。そして日本の文化に心から感銘を受けました。礼儀正しいところ、温かく見守るところ、清潔なところ。すべてにおいて、フランス人にもっと真似してほしいです(笑)。そんな文化をインプットしたいですね。
アウトプットに関しては、私の場合、「フランスの一部を日本に持ってくる」という目的があります。具体的にどういうことかというと、ポール・ボキューズ本店のノウハウや働き方を、日本のスタッフと交流しながら伝授したいですね。そして日本のスタッフにはそれを我がものとして、日本のお客様の満足に繋げてほしいと思っています。
「ノウハウ」と言葉にするのは簡単ですが、実際には日々努力してノウハウを進化させているわけです。学ぶことは毎日たくさんあります。とくに、日本とフランスという異文化の中で本当のフランス料理を作るには、互いに勉強が必要。そんな意識も共有したいと思います。
――今回「私の最先端が表れた一皿」として挙げて下さったお料理について、ご説明いただけますか。
ムッシュボールが考案した「黒トリュフのスープ(1975年、エリゼ宮にて)」。
「黒トリュフのスープ」(1975年にエリゼ宮にてV.G.E.に捧げたトリュフのスープ)、これはムッシュの特別なスペシャリテです。シェフとして初めてレジオンドヌール勲章を受勲したムッシュが、受勲の晩餐会にて、その時の大統領であったヴァレリー・ジスカール・デスタン氏に振る舞った記念の一品。フォアグラ、トリュフ、牛頰肉入りのスープを注いだ器にパイをかぶせて焼いてあるので、風味が閉じ込められます。その風味が、パイを開けると一気に立ち昇るのです。
ムッシュがこの料理で何を実現したかったかというと「裕福な人の料理と、庶民の料理の融合」でした。ベースとなるスープは、牛頰肉入りのブイヨンといった一般的でシンプルな料理です。ポトフを思い浮かべていただくとわかりやすいでしょう。そこにフォアグラとトリュフというラグジュアリーな食材が入ります。
ポトフのような庶民のシンプルな料理、トリュフやフォアグラのような特別な宝物のような素材。ムッシュはその両方から素晴らしさを見出しています。そして、その、まったく対極にある二つを統合する勇気を彼は持っていたわけです。
この魔法のようなスープは、おいそれと手を加えられるようなものではありません。ただし私が時代に合わせて変化させた点もいくつかあります。一つは、ブイヨンの煮詰め具合をやや弱め、よりマイルドな味わいとしたこと。もう一つは、今まではフォアグラはテリーヌにしてから使っていましたが、今は生のまま厚めにスライスしてソテーをしてから、スープに入れています。それでも溶けないとわかったのです。
先ほども言いましがた、われわれは革命ではなく、進化を続けるためにいるのです。このスープでも同じことが言えます。
――料理を志す人々へのメッセージをお願いします。
一に仕事、二に仕事、三に仕事!
というのは、少し冗談です(笑)。でも努力を惜しまないこと、勤勉であることは非常に大事です。自分の道を進むために、そして野心を実現させるためには、全力で仕事に取り組まなくてはなりません。その努力を惜しまなかったら、たとえどんな夢でも実現可能だと思います。
また、最近の若いシェフたちは競争が非常に激しいという印象も持っています。まるでF1のレースです。優秀な人は増えているのですが、「選ばれし者」は少ない。少し前までは頂点以外にも活躍する場があったと思うのですが、今のシェフは本当に一番を目指さなくてはいけない。そんな傾向があるように感じています。
なので、私は若い料理人には「あまり急がないように」とアドバイスをします。徐々に進み、ゆっくりと成長してほしいのです。そして「料理を語るには少なくとも10年の経験が必要」とも言います。10年あってようやく自分のことを顧みることができるし、料理について互いに討論できる。自分の意見を発することができる。
つまりは自分のアイデンティティを持つことができるのです。そのことを若い人は、ぜひ覚えておいてほしいと思います。
――本日はありがとうございました。
取材日 2022年11月
取材・文 | 柴田泉 |
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写真 | 小沼祐介 |
編集・構成 | 料理王国編集部 |
Chef Profile
Gilles Reinhardt ジル・レナルト
1975年、アルザス生まれ。ストラスブールのホテル学校を卒業後、公邸料理人等を経て1995年にレストラン「ポール・ボキューズ」に入店。2年間コミとして働いた後「レ・クレイエール」のジェラール・ポワイエ氏のもとで3年働く。2000年に「ポール・ボキューズ」に戻り、2004年に28歳の若さでM.O.F(フランス国家最優秀職人賞)を受賞。2017年、総料理長に就任。